簡単な話

最近、教科書と言うのは分かりやすく書かれていると言われながら、本というもの自体が根本的に分かりにくいものではないかと思うのだ。
なぜか。第一にはそれは読者を目の前にしていないからだ。誰に対して語りかけているのか分からない本と言うのは、やはり伝わらない。もちろん、それはおそらく出版社やほんの著者も分かっていて、前書きには「××な人を対象としています」と書かれていることも多い。とはいえ、それだけでは根本的な解決にならない。その理由は第二の理由にある。
第二の理由は、本と言うのは前の話を前提として書いてあると言う点にある。つまり、前を読まなくては後ろが理解できないという作りになっている。これは、非常に致命的な欠陥であるとしか思えない。その人が、もしもその分野に関して全く知識が無く、その基礎を学びたいと思うのであれば確かに前から読むべきだし、読むと言うことを仮定するのは非常に自然である。だが、その仮定を行った時点で、ほとんどの読者、すなわちちょっとは知っているが全部は分からないというような人を無視している。
例えばその分野についてちょっと知識がある、もしくはちょっと使ったことがあると言う人がいたとして、解説の導入をそこに持っていくと言うのはすごく自然であるし、そうすることによって理解がより促進される。逆に、そうでなければ、すでに持っている知識と新しく得る知識をマージさせる処理というのは、非常に困難である。
これを解決する現状で唯一の方法は、その人のための解説を行うことである。つまり、その分野を良く知っている人が、個人授業を行うことである。だが、それにはものすごく莫大なコストがかかることは家庭教師というのが高額であるということからも理解できるだろう。
しかしながら、どうにかこの問題を解決することが出来るのではないか、という思いも一方である。技術がこれだけ発達しているのだから、その技術を使って、と言うことだが、結局のところ知識を定式化しなくてはそれは不可能だと言う結論になりそうだ。