コンピュータは道具なのか

どうでもいいような、どうでもよくないような話題。
僕の場合は理論系の人たちと比べると、おそらく物理とかやる人たちと会うことが多いような気もするのだけれど、偶に物理屋さんから「我々にとって、コンピュータは道具でしかない」と宣言されることがある。で、これについてどうにも理解ができなかったので、あんまり考えてこなかったのだけれど、ある程度考えがまとまったので書いてみようと思う。
まず、彼ら自身が何を考えてそういう発言をしているのかについて、いくつか考えられる。1.「我々にとって、コンピュータは研究対象ではない」。2.「我々はコンピュータが嫌いだ」。3.「我々はコンピュータおたくではない」。普通に考えるとこの中では1だと思うのだけれど、必ずしもそうではないような気がしている。被害妄想なのかもしれないが、彼らがこの手の発言をする時には、かなりの敵意にも似たようなものを感じるのだ。その敵意は、むしろ2とか3の理由からやってきている気がしているのだ。
そもそも、だ。彼らの発言の真意が1と言う理由だけだとしても、そんなことをわざわざ宣言する必要なんかどこにもないのである。小柳義夫先生の言葉を勝手に借りると、「情報というのは、数学と同じくすべての学問においてのベースとなる話」なのだ(これは、以前に直接話をした時に聞いた話なので、特にポインタとかは存在しない)。
たとえば物理屋さんにとって、数学というのは道具でしかない。しかし、そんなことをわざわざ宣言するだろうか?コンピュータが物理にとって道具というのは、それと同じレベルの話だと思っているのだけれど、勘違いなのだろうか。数学とコンピュータの間には、実物がこの世界にあるかどうか、という大きな違いはあるが。数学屋さんとそんなに話をすることはないのだけれど、物理の人からそういうことを言われることがあるのであれば、ぜひ教えて欲しい。
さらに言うなら、「実験物理屋さんにとっては理論物理というのは道具でしかない」、という話を聞いたことがあるだろうか。これも、物理にとってコンピュータが道具である、という発言と全く同じ理屈なのであるが、そんな話をするのだろうか。もしそんな発言をわざわざする人がいるのだとすれば、頭が悪いとしか言えないと思うのだけれど。
それと関連するのだけれど、コンピュータ屋さんというのは、つまりは他の分野の下請けなのである。他の分野で何も困っていることがない状態なのであれば、実はコンピュータ屋さんの仕事なんて何もなくなるのである。下請けという言葉は悪いかもしれないが、学問にとって下請けというのは、つまりは誇りに思うべきことなのだと思うのだ。
さて、話を戻して。彼らにとって、「道具でしかない」と宣言することによって何が良いのだろうか。しばらく考えていた内容は、実はこれなのだけれど。おそらくそれは、「君たちの研究なんて、知ったこっちゃないから」ということ。ただそれを言いたいだけなんじゃなかろうか。だとすれば、理解はできる。道具に関する研究なんて読むわけがない、と。せめて商品化してからマニュアルやらカタログにしてくれれば読むかもね、と。つまりは、電子レンジの仕組みがどうであろうと、冷蔵庫がどうなっていようと、関係ないよ、というだけの話なのだろう。
しかし、少なくともそんな宣言をするような人というのは、おそらくマニュアルでさえも一部しか読まないだろうな、と予想はできる。ちゃんと書けば1分で終わるプログラムが1日かかったとしても、「道具だから」という一言で片づけるのだろう。冷蔵庫にものを詰めすぎて、全体がほとんど冷えないような状態になっていても、「道具だから」という一言で片づけるように。
いろいろ書いたけれど、結論としては、そんなことを言われたとしても、我々は苦笑いを浮かべてやり過ごすか、本気で反論して空気をぶっ壊すかの二択しか持っていないのである。敵意をもった発言というのは本当に困る。