プログラミング言語のコミュニティの成長過程に関する雑感

今から書くのはあくまで個人の感想ね。良し悪しも論じるつもりはないよ。
あるプログラミング言語ができると、まずそれに群がる人たちが出てくる。新し物好きの人たち、アルファギーク(笑)の人たち。今だとGoとかがそれにあたるのかもしれない。その人たちの中で、面白いものを作る能力がある人、そして他の言語で培った能力がある人たち、すでに発言力がある人たちがもてはやされる。
次に、この一時的な盛り上がりがだいぶ落ち着く。そうすると、その言語が本当に好きな人たちが集まってくる。これがコミュニティとして長く続くことになる。「○○ユーザー会」とかって名前がつく。その人たちの中で、初心者にわかりやすくちゃんと文章にしてまとめてくれる人、本を出す人たちが現れ、リーダーシップを発揮する。
そうこうしているうちに、言語が成長を遂げる。言語としては成長だが、シンプルさがなくなることもある。余計な機能のせいでわかりにくくなることもある。変なライブラリが追加されたりする。大体の場合、この段階までで初期のコミュニティのリーダーはいなくなる。なぜなら、そのリーダーにも仕事がある。引越しもするし、管理職になったりもする。元々世話を焼いたり、リーダーシップを取れる人だから、企業でも重宝される。コミュニティは維持されるが、リーダーは何度か変化する。
さらにだんだん時間がたつと、言語の使用人口はだんだん減ってくる。コミュニティのMLの投稿も念に何度かSPAMが来る程度。アンチも沸きにくいレベルになる。今のPerlとか、あるいはもっとひどいところではFORTRANみたいな状態。言語のアップデートは行われるものの、頻度も低いしそれほど注目しても仕方がないというレベル。
とまあ、こんな感じで変化していく、と思うのですよ実際。ずっと続く言語ったって、そもそもそんなに分野の歴史がないしねえ。で、その中でのコミュニティについて考えてみると、その中で活動する人たちは何回も代替わりを行うわけだ。Perlについては見てきたけれど、例えばここ10年で見た場合でも、つまりはPerl5が登場した後であっても、すでに最低2回の代替わりが起きている、と感じている。書籍や雑誌記事の著者とか見てるとすぐわかる。
これが良いことかどうかはわからないけど、少なくともそれくらいの短期間で変わるものだ、という認識をまず持つべきで、そうであれば例えば複数あるコミュニティを統合して一元管理したいだとか、あるいはコミュニティの体質改善だとか、そういった議論を行うこと自体がナンセンスだと感じるはずだ。統合したり、体質改善を行ったらすでにそのころには代が変わっているのだし、そもそも体質改善した張本人がその場にいなくなったりするのだから。
ということを、 http://kaede.to/~canada/doc/are-japanese-perl-document-communities-all-right を読んで思ったという話。以上。