確率がどうした?

世の中は確率で回っている。確実なことなど何も無い。電子がどこにあるかだって確率でしかわからない。
http://asakura.g.hatena.ne.jp/asakura-t/20051212
さて、言及されれば仕方が無いのでちょっと反応してみようかなあ。まず、以下の発言に関して。

「なんでわざわざ直交言うかなー、独立事象でええやん」と思ったわけですよ。

この場合、「バイナリアンとフレームワーカーが独立事象」ということの主張なんだけど、それってどうなのよ?と。確かに僕の書いた記事(id:succeed:20051206#1133893755)の中でも独立事象なのかどうなのか、というのと同じような議論をしているのはそうなのだけれど、独立事象と直交概念って違うんじゃないかなあ?
つまり、世界中の人もしくはある程度の技術者を捕まえてきて、その人がフレームワーカーである場合とバイナリアンである場合の関係を調べる場合には、これは独立事象かどうかというのは、意味を持つ。でもこの場合って本当はそういう意味じゃないよね?例えばある技術者志望の人間がいて、この人間を今から教育しようと思うと言ったときに、バイナリアンとしての知識は与えずにフレームワーカーとして教育できるか?またその逆は?ということが特に問題を起こさずに可能であるならこれは直交概念と言えるんじゃないのかなあ。
で、ここにもちょっとだけ反応を。

いやこの記事を書いた人は論理式書いてたりするから確率もやってそうだけど、逆に「論理式、何それ?」な人は確率やってなさそうな気がして。

確率をやっているかと言えば、かなり微妙なところ。現代数学における確率論は到底理解できないものばかりなんだけれども、高校生レベルの確率論なら・・・と情けないことを言ってみる。
ただ実際問題として確率に対する考え方と言うのは自分の中でだいぶ変わってきた気がする。高校のときの確率論と言うのは、あくまで何かが起こる確率がXだとすると、別の事象が起こる確率YをXで表せというのがメイン。分散だの標準偏差だのを聞かれることもあるが大差は無い。こんなもの、現実世界で使えるかっつーの。
で、大学に入って統計をちょっとかじってみると、どれくらいこの確率が影響してくるものなのか、というのがわかった。とはいえ、これだってあくまで統計学のさわりでしかないので、実際には使えない。そこでコンピュータサイエンスが登場する。
コンピュータサイエンスにおける確率は、多くの場合シミュレーションに役立つ。シミュレーションというのはものすごく重要で、特にランダム性がある場合にはシミュレーションをしてしまうのが手っ取り早い。ある確率をX1,X2...Xnとしたときに、確率Yを求めよ、というのは、nが2つくらいでかつそんなに複雑でなければ手計算が出来るが、そうじゃなければシミュレーションで10000回繰り返した方が大抵早く終わる。10000回の試行で十分かどうか、と言うのに関しては統計学を使えばいい。なんて簡単なんだ。
だけれども、それは怠惰な思考の始まりでもある。本当はもっと美しい式で表されるはずの確率を、シミュレーションと言うものによって見えなくしてしまっているんじゃないのか?本当は確率論ではなくて、もっと根本的な解決策があるような問題なのじゃないのか?あるものを見ることで他のものが見えなくなってしまう、というのは避けたいなあ、とふと思った。